Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル・番外編

    春疾風鬼重来B
 



          




 何につけ人任せなのは意に染まぬことと、気の短い蛭魔が直々に立って出てゆこうとするのを黒の侍従が“まあ待て、小者が何人も出ているから”と何とか圧し止めていると。向こうからの使者が…先程の腹と面の皮が厚そうだった男よりずんと貧相なのが駆け込んで来て、
『大変でございますっ! 瀬那様がっ、どこの誰とも知れぬ狼藉者に…っ!』
 桧山坂下の分家とやらでも、泡を食って逃げ帰った者らのもたらした報を聞いての大急ぎにて、腕に自信の若いのを多数駆り出し、見るも頼もしき捜索隊を組んだそうで、
『内裏の検非違使様への届けも出しましたゆえ。こちら様にてもどうか、お心当たりへのご手配をっ!』
 そのまま彼自身も捜索に加わるのか。寸暇を惜しんでという勢いにて帰りかけたのを引き留めて、何があったかを問いただしたが…進が言うのとさして変わらず。輿にお乗せしての道中にて、人気のない通りに差しかかったところ、怪しい霧が道いっぱいに立ち込めるや、あっと言う間に襲い掛かられ、警護の若いのを何人が薙ぎ倒した末に、輿ごと何物かに力づくにて奪い去られたとのこと。あまりの段取りのよさから、もしやして邪妖の仕業やも知れずと思うたか、
『どうかどうか、こちら様でも探索をどうか。』
 どこかびくびくと怯えながらの言上を重ねてから、やっと解放されて外へ出て行ったのだが、
「………。」
 先程までは人任せでは埒が明かぬから自分が見てくるとばかり、居ても立ってもいられぬと落ち着きがなかったお館様。今度は打って変わって、妙に黙り込むと何やら“う〜ん”と唸り始めた。
「どうしたよ。」
 こういう事態の最中に黙り込まれると、何とも読めぬのは相変わらずで。きっとその頭の中、胸のうちにて、自分なんぞの及びもつかない思考を巡らせている彼なのに違いなく。どんなに付き合いが長ごうなってもコレは仕方がないのかなと、諦め半分、次の反応か指示を待っておれば、
「…成程な。」
 優秀にして隙のない、彼のオツムが何にかに辿り着いた様子であり。
「ヒントはこれよ。」
 進が咄嗟に掴みしめたという相手の衣紋の切れっ端。どこにでもありそうな絹布に過ぎず、よくよく見やれば朱と鬱金の三角の格子柄。丁寧な版木染め? いや、そんな技術はまだ、この島国では現れいでてはおらなんだかの?
「そんなもので何か判るのか?」
 結構様々なこと、見聞きして来た自分でも、ただの端布にしか見えないもの。だっていうのに、
「まあな。この三角格子は、神楽舞や芝居の衣装ではとある存在を象徴しとるのだ。」
 にやりと笑った蛭魔だったが、まだどこか、勝利の笑みというには棘々しくて。詰めに入るぞと立ち上がった、それはなめらかな所作を見送りながら、ああ、こやつのためにも早いとこ、あのちびさんを助け出してやらんとなと、深くその胸の底へと言い聞かした総帥殿だった。








            ◇



 床は恐らく年期の入った深色の板張りだろうに、祈祷のための祭壇は、打って変わっての真新しい白木に玉串や樒の緑も鮮やかで。戸を全て締め切った、真っ暗な広間だのにそれらが見て取れるのは、火皿や燈台を多数ならべたその上へ、やはり白木を組み上げての炎囲いに明々と燃やされた、護摩焚きの大きな焚火の勢いが物凄く。そんな中に低く響くは、熱のこもった祈祷の文言がつらつらと。よほどの想いが籠もってのことか、それだけで十分に重苦しい空間だというのに、

  「私が宗家を継いでおれば、武者小路のなんぞに出し抜かれはしなかった。」

 そんな恨み言までもがこぼれて来たのへ、
「〜〜〜〜〜。」
 もうもう生きた心地がしないまま、純白の直衣
のうしという新しい衣紋へと着替えさせられた上で後ろ手に縛られて。壇上の一番の高み、仏像を据え置くための須弥壇のように、その四方に縁へ欄干みたいな飾りのついたる壇の上へ。まるで何物へかの捧げ物のように横たえられているセナだったりし。
“…怖いよう。”
 意識が戻ったのはついさっき。乗せられていたのが車のない、人が担ぐ輿だったから。何物かが襲い来たその時は、一気に周囲の方々が手を放しでもしたのだろう、どんという強い衝撃が床の方から襲い来て。それでも大事はなかったのは、案じてついて来てくれていた進が素早く放った術により、真っ逆さまには落ちぬよう、輿ごと受け止めてくれたから。そのまま姿を現した彼から手を取られ、外へと促されて這い出したまでは良かったが、不意にその進がその場へと膝を落としたのが意外なこと。セナには姿が見えなかったが、御幣仕立ての“紙の式神”が彼へとさんざんに襲い掛かっていたらしく、しかも、
『抵抗はやめよ、憑神よい。』
 どこからともなくの声がして。真っ白な霧の中にも鮮やかな、朱と鬱金が連綿と連なる、三角の格子柄の帯のようなものが、風に乗ってのようにすべり出て来た。それがセナの首へと見る見る巻きつき、容赦なく絞まってゆく圧迫から、セナはすぐにも意識を失ったから、後のことは判らぬままだが、
“進さんは、ボクを盾にされて…。”
 手出しが出来なかっただけならともかく、何か酷いことをされてはいないかしら。相手は進さんのことまで知っていた周到な人だったみたいで。いくらお強い憑神様だとて、抵抗を封じられていた身であれば…そのまま封印されるということだってあり得るかもで。
“進さん…。”
 こんな情けない子でごめんなさい。お館様に言われていたのに。ボクの判断とかボクの立場だとかが進さんの全てを左右するから、心して学べよと言われてたのに。ごめんなさい、ごめんなさいと。怖いのが半分と、後はあの憑神様への心配とで、小さなお胸をいっぱいにしていたセナだったが、そんな彼へもその声は不気味に届いて。

  「能力はさして違わなかったのだ。
   ただ、後見の力に差があっただけ。
   だから今度こそは、どこからも文句の出ぬよう、
   この子に最高の能力を植えつければいい。」

 神官装束にて御幣の下がりし玉串を振るい、祈祷用の祭壇に向かいて、激しき情念を込めての不気味な祈祷を紡ぐのは。蛭魔邸での会話にて“跡取り”と言われていた若主人に違いなく。のっぺりとした顔を熱っぽく浮かせての祈祷の様、壇上にての仕儀を、少しほど離れた下座から見やるは、真っ赤な錦の道衣をまといし年老いた人物。その彼の傍らに、こちらは綺羅々々しくも錦の衣を着せられて、どこかぼんやりとした顔の…恐らくはトランス状態になって座っている青年へ、にまにまとご満悦の笑みを向ける老爺こそ、この屋敷の現在の惣領、桧山坂下の分家のと冠されている、小早川一門の上位のどなたかであるらしく。
“…でもでも、お逢いしたことなんてありませんよう。”
 戸籍上での親代わりとなっていたお家でも、結構格の上の方々とお顔を合わす機会はあったセナだが、そのどれにも覚えのない人。蛭魔や葉柱を始めとする、最近のセナの周辺の人々は皆、こうまでの段取りなぞ必要としない即決即断にて、高い咒力を自在に発揮出来ていたからね。そんなせいでこんな仰々しい祈祷にもセナは立ち会ったことはなく、だからこそ余計に、このいかにも禍々しい運びが恐ろしくってしようがない。
「もうじきじゃ。あの、霊力の強き和子を捧げて招きし憑神様に、お前の後見、守護様となってもらおうな。」
 得体の知れない憑神を操っておったほどもの力を持つ和子じゃ。さぞかし、強力な憑神様を招いてくれるに違いない。今にも叶うと思っての興奮からか、永いこと胸へ仕舞っていたそんな想いを譫言
うわごとのように何度も何度も口にする老爺であり。自分で唱える祈祷の文言やら、この場の空気に酔ったのか。顔を赤くするほどに血の気が上って来た祈祷師のおじさんが、いよいよもって祈りの声を荒げ始める。セナには何の気配も感じられないが、それは恐怖で身が縮こまっているからなのかも。こんな立派な設備の中、一心不乱に祈っておいでの、こちらのお家の跡取り様だもの。きっと何かを呼び出してしまわれるのだろうなと、怖々と身を竦めていたセナだったが、

  “………あれ?”

 そんな彼にも届いた何か。邪妖か憑神様がお越しになったか? いや、そういうんじゃなくって、あのその………。


   「此処かぁっっ!!」


 ばりんと勢い良く、内側へすっ飛んだ板戸は確か、外から掛けさせた閂
かんぬきのみならず、内からもクギを打ち、その上へ御幣を何枚も張っておいたはず。それが閂もろともに、板張りの床へと斜めにすべって飛んでゆき、そこから吹き入るは戸外のまだ冷ややかにも冴えたる春の風。少し湿っぽいのは雲行きが怪しいままだからで、そんな効果も抜群な背景まで背負って現れたるは、

  「お館様っ!!」

 そうか、この彼の気配だったのかと、少しは安堵の吐息もこぼれる。無論のこと、どっかの爬虫類系の怪獣じゃないんだから、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てつつ上がり込んだ彼ではなくて。お待ち下さいましと制止しかかる家人たちを、寄らば跳ね飛ばし蹴り倒ししながら、薙ぎ倒しての進軍を続けて此処へと辿り着いた彼だったからで。案内もなくのご登場には違いなく、
「いくら位の高かりし、神祗官代理様であらせようとも。祈祷の間へ土足でのご乱入とは、、到底許されることではありませぬぞっ。」
 こちらも動じない老爺から、そうと大上段からの言いようを向けられたものの、


 「やかましいわっっ!!」


 腹の底からという大きなお声で怒鳴ったついで、玄関から此処へと至るその途中の道中にて、何とか引き留めようと掴みかかり、その身を拘束しかかっていた、こちらの屋敷の下々の連中がくっついているのを“てぇーーーいっ”とばかりに振りほどく、強腰なところもますますと勇ましく、
「一体どの口がそのように厚顔な物言いをしておるかの。他の者共もだっ。どれほどの科がどちらにあるのかも、もはや判らぬところまで堕ちたのかっ!!」
 きっぱりと言い切ってから、炎へと擇
べられていた御幣の燃え残りが間近へ舞い落ちて来たのを宙に見やって、それを指先に摘まみとり、
「………やはりな。」
 そこに綴られし特殊な文字には覚えがあった。それこそ、これまでにもさんざん仕留めて来た邪妖を招きし、浅はかな人間どもの仕儀を数々見て来た彼なればのこと。
「呪いの咒は国家転覆にも通じることとて、それが帝や朝廷へのものでなくとも絶対の禁忌だと。陰陽の教えを始めるときに、まずはと習う基礎ではなかったかの?」
 そんな最初を忘れる程まで、老爺よ耄碌しやったかと、余計な憎まれを紡いで相手を煽るは常のこととて、
「警護を固めて招待した者がこんな仕業を仕立てるなんて、理屈に合わないにも程がある。もしかして、臍曲がりで疑ぐり深い俺が立ち騒いだとしても、巧妙な弁舌で周囲や役人たちを丸め込む自信はあったらしいがの。」
 ふふんと居丈高なのもまた…別段、今日に限った話ではない彼なのだが。それでもこれが決め手だと、彼が着目したのが、
『どうかどうか、こちら様でも探索をどうか。』
 使いの者のあの念押し。

  「ありゃあ過剰な演出だったよな。」

 あの小者は、俺らが本当に邪妖相手の封滅成敗をやってるなんてこと、信じてなかったらしいから。あんな言いようをして、不安を煽るだけ煽ったつもりだったのだろう。そうすれば、怯えはせぬまでも…俺らにはそれが専門の“門違え”に差し障りがあったのかとか、占って探せないものかとか思い立ち、祈祷所なり検非違使の詰め所なりに駆け込んで、時間の無駄遣いでもするのではと思ったんだろうがの。くすすと余裕の笑みを見せ、

  「人の言うことを素直に聞くなんてのは、
   俺には何十年に一度も有るか無きかのことだからの、感謝しな?」

 指先に摘まんだ御幣をぴっと真っ直ぐに立てて見せ、
「探索してやったさ。一体何事が起こっておるのかをな。都の大気、大地の気流。それらを読んでの探査にて、面白いものに辿り着けての。」
 特に何事か、構えたようには見えなんだ。強いて言うなら、視線が少々鋭くなったくらい。それだけのことで、指先に挟まれていた御幣が…青白い炎を上げてさぁーっと燃え上がったから、
「…っ!」
 それだけで、この青年導師がどれほどの力量を持っているのか、分かる者には分かったろうし、分からぬ者にも恐ろしき妖力を使える不気味な存在だくらいは伝わって。周囲へと詰め掛けていた者共が一斉に後ずさりしかかったものの、
「帝からの御覚えも目覚ましき身なのは、よほどの人物だったからとでも言いたいらしいがの。」
 こちらさんもまだまだ負けてはいないということか、年老いた惣領殿、そんな言いようで立ち向かい、

  「もしかしてお前様、邪妖の眷属なのではあるまいか?」

 何とも意外な一言へ、場内がざわわと狼狽の気配で揺れたところへ返されたのが、
「そうだとして。陰陽を扱いし家の者らが、そんな逃げ腰でどうするね。」
 くつくつと笑う蛭魔の言いようがまた、どうとも解釈出来たから。
「こやつっ!」
 詰め掛けし若衆らの緊迫の度が、逃げようかどうしようかという戸惑いからは逆方向へと増したのを見澄まして。そこへの号令も鋭く、

  「皆の者、こやつこそが今世の朝廷に深く牙を立てし、悪霊の本体ぞっ。」

 巡り合わせの悪い身を、何かのせいにしたい時ほど、人はその隠れ簑にと大きな大きな大義名分をもっともらしく担ぎ出すもの。そんなまでの悪鬼だとまで言われた青年は、だが、微塵も慌てた素振りを見せなんだから、そんな太々しさが年老いたお館様の無体な言いようの裏書をしてしまいもしたのだろう。さすがは年の功、人心掌握の術も素晴らしいということか、
「こやつっ!」
「斬れ斬れっっ!」
「畳んでしまえっ!」
 半分は蛭魔自身が引き摺って来た面々が、数にして数十人ほどは詰め掛けていただろか。そんな中の最前列、既に抜刀していた気の短そうな手合いが十人ほど、一気呵成に飛び掛かり、よくよく鍛えし腕を振るっての、凶銀の驟雨を次々に、すっくと立ったままの姿勢も微動だにせぬままな、術師の痩躯の頭上からさんざんに降らせた…筈だったのだが。


  ――― 白銀の疾風、鋼の稲妻が音もなく舞い降りて、
       冷ややかなる死の翼を、地に伏せるよに広げたかのごとくに。


 がつん・ぎゃりがり・じゃきんっと。鋼同士が咬み合う音が長々と轟いてから。わっと、飛び込んだ以上の勢いで、外へ外へと押し返されてしまった者共が弾かれるように退いた後へ。陰さえ居なかった存在が、悠然とその姿を現した。姿勢を低くし、両腕は大鷲の翼のように外へと尋を伸ばし切り。全てを薙ぎ払い、弾き飛ばし終えた態勢のままというその余裕が、小憎らしいほど重厚な。そんな男が術師の前に、主人にだけは柔順ながら、獰猛な獣の野生をぎらつかせ、片膝立ててうずくまっており。黒装束も威容を含んで重々しい、そんな彼が開口一番、

 「…こういう場面で敵を煽るのが好きとは、つくづくと危険な思考の奴輩だよな。」

 うっせぇな、こちとら睨めっこの続く緊迫が快感ってな変態じゃあないんだよ。気ィ短いのもそう言や立派な言い訳になんのな。うっせぇっての…って、そういやお前の刀って、人は斬れねぇんじゃなかったっけ? 人、はな。刀や武具なら弾けるぞ。敵対者のものなら、紛れもなく悪意や殺意が籠もっていようからの。それに、今日のこれは闇の刀じゃねぇ、進が持って来てくれた業物だ。この国では製鉄の術もまだまだ始まって間がなかろうに、これだけのもんを持って来れるからさすがは武神様だよな…などなどと。この修羅場でそんなことを呑気にも訊く方も訊く方なら、律義に答える方も答える方で。
「それにしても。」
 護摩焚きの中から舞い上がり、辺りにまだまだ舞い落ちている御幣を、雪の降るのでも見るかのような鷹揚さで眺めていた金髪痩躯の術師殿、
「これって、何か曖昧な咒詞じゃね?」
 何が呼びたいんだか、これじゃあ判らねぇよな? まあな。邪妖で人語が判るなんてな級者は限られてっから、結構上の者が聞いてはくれようが、そもそも へびと蛇は別もんなんだぜ? 一緒にされたとまずは怒るかもだな…なんてこと。やはり余裕で言い合っている、どこか不可思議な主従の二人。片やは、浅い緑は春の萌黄に薄むらさきを重ねた色襲
かさねもなかなか艶やかな、貴族然とした狩衣姿の勇ましさが…どうしたものか。ほっそりした肢体がまとうと不思議なもので、男装の麗人の凛々しさに滲むよな、どこか張り詰めた痛々しさやら可憐さが、そこはかとなくも匂い立ち。それへと添いたるもう片やは、濃色の隋臣装束のせいで嵩が絞まって見えるものの、がっつり張った肩や胸の筋骨も隆々と屈強な、いかにも頼もしき男衆。肩へは触れぬ長めの黒髪を椿の油で整えしものが、ここまでの乱闘にも少しも乱れぬもまた余裕か。
「…くっ!」
 色んな意味合いから大きに舐められているのへ我慢が利かず、やあと飛び込む手合いを軽々と、
「ほいっ。」
 片手ずつにて いなしての二刀流。途中で1本を腰の鞘へと収めてからは、斬るより殴っての叩き伏せにて、血気盛んな若いのを、片っ端から伸してく手際に、

  「…ぐうぅっっ!!」

 もはやこれまでと思うたか。最後の抵抗、せめてもの苦渋を相手へ与えんとした悪あがき。壇上にいた跡取りの方が、あと数段というすぐ間近にいたセナへと奇声を上げて躍りかかった。その手に握られしは、どこから出したか、刃が妙な色合いに鈍く光っていた短刀で。
「………っ!」
 誰もが あっと声を上げ、だがだが体は動く暇間もなかった突発事。あわれ、小さな和子が犠牲になったかと、どなたもが感じて身が凍った事態だったが、

  「進さんっっ!」

 贄にされし小さな和子と もはや錯乱していた男の狭間に、がっしりとした障壁が立ち上がり。大切な主人をその懐ろへ、掻き抱くように守った姿も頼もしく。黒髪をざんばらにした、こちらも雄々しき青年が、いつの間に何処からとも判らぬながら、沸いて出て来ての庇いよう。こうまでの想いも憚られたかという無念と、思わぬ伏兵の出現とに、腰が抜けたそのまま壇上から転げ落ちたる跡取りはさておいて、
「…すまぬ、主
あるじよ。」
 みすみす大切なあなたを攫われてしまったことへか、それとも。その折りにかぶった咒弊の呪いにて、此処への殴り込みを構えし蛭魔らから大きく後れを取ってしまったことへか。謝意を述べてそのまま…苦しげに息を詰めた彼だったのは、
「毒咒を塗り込めてやがったなっ!」
 単なる毒なら人ではない彼にはそんなもの効かない。恐らく、咒力の強いセナの命を断つのに使うため、そんなとんでもないものまで用意していた連中であり、

  「………もうもう堪忍袋の緒が切れたわ。」

 淡い金の髪が逆立ったようにも見えたほど、鋭角的なその顔容の表情にきりきりと尖った険を立て。低く唸って物凄く、それだけ深き怒りを体内にて練り上げ切ったうら若き術師が、その手に掴み出したは…進が持ち帰ったあの絹の切れっ端。それを高々と掲げたところへと招かれしは、

  《 迷惑なんだよな〜。中途半端な祈祷で曖昧な呼びかけをされんのはよ。》

 選りにも選って、明々と燃え盛りし護摩炎の中から、胸高に悠然と腕を組んで迫り上がって来た人影があり。そんな芝居がかったご登場をあそばしたその人こそ、
「…阿含さん。」
 苦しげな憑神を支えて、必死の涙にむせぶセナくんも覚えていた、縄みたいに綯った不思議な髪型をした、謎の精霊のお兄さんであり。そんな彼へと手を延べて、
「喜べ。お前らが念を通してお越し下されと祈ってた蛇神様の総帥ぞ。あんな甘ったるい祈祷では絶対に呼べぬ、山城国担当の最上級位の御仁だぞ。」
 うわあ、出血大サービスじゃんかとは、敵味方の誰一人として思わなかったのは言うまでもない。
(まあねぇ…。)相手が本当に蛇の邪妖だとしらずとも、こんな格好で現れた者が只者ではないというくらいは判ろうから。こっちの家の者らは固唾を呑んでの硬直状態になってしまったし、
「…お前、あいつとはどういう関係になってんだ?」
「何で呪いとなると、誰しも蛇とか蜥蜴とかに狙いを定めるんだろうな。」
「いやらしいもの嫌いなものの形容詞に“蛇蝎の如く”なんて言うからだろうよ。」
 それよか真っ当に答えんかいと、こっちも結構余裕で横道へ逸れてることで詰め寄った葉柱へは、

  「俺は別に、嫌ってはおらんぞ?」
  「………。おう。」

 ちなみに“蛇蝎”ってのは、蛇とサソリのことだ。トカゲはかぶってねぇぞ? そっか…なんてやり取りを続けているお二人であり。何ともくどいようですが、この修羅場に、何やってんだかですね。







            ◇



 蛭魔が睨んだ通り、相手はセナの“立場”ではなく、その莫大な咒力へと眸をつけた、何とも厄介で利己的極まりなかった輩であり。
「とんでもねぇほど昔の恨みを、こんなところで発揮されてもなぁ。」
 こんな恨みごとが発端だったなんてねという、コトの顛末を手短に伝えられ、それで初めて“ああそういえば”と。若かりしき当時に腕のほどを競ってた相手の多数の中に、そういうお人もいたかしらなんてこと。武者小路の惣領様が何とか思い出して下さったらしいことを、せいぜい手向けにしてやりゃいいと。………あんまり慰めにはなってなかろうお言いようをした金髪の術師殿。
「阿含の蛇野郎もお優しいこったよな。」
 何であそこで彼を呼んだかといえば、セナを襲いし不思議な動きをしたという絹の、あの三角形の格子柄、舞いやら演劇では“蛇のうろこ”を表すのだとか。そんな理由で検索条件をを絞った術師も術師だが、そんな判りやすい仕立てにしていた相手も相手で。そうして…冗談抜きの“二度寝”の寝起きに
(笑) ややこしくも中途半端な念咒を向けられたとあって。結構本気で不愉快そうにしていらしたのにね。どうしてくれようかと脅した割に、あの家の方々から咒にまつわる力だけを底が尽きるほど吸い取って、それで退散してしまったから、どんな阿鼻叫喚の修羅場になるかと期待したのに…なんて続けかかった、相も変わらず過激なお館様のお言いようへ、
「いやですよう、そんな地獄絵なんか見るの。」
 …地獄という観念は、この時代にもうあったんだろうか。筆者までもが揚げ足を取るのへ、い〜〜〜っだと綺麗な歯並びをご披露下さり、自分のお部屋へ下がっていったセナくんであり。
「元気なもんだ。」
「しょげてる場合じゃあないからだろさ。」
 小さな背中を見送った主従も知っている先、彼の自室には新しく寝間が設えられてあって、そこにはあの憑神様が横になっている。少し休めば復活すると、遠慮する彼をうるうると瞳ごと零れ落ちそうなほどもの涙目で引き留めて、
『ダメですっ。』
 完治するまでは看病させて下さいと、言い切ったその上で、
『…ボクでは即死するほどの毒だったからでしょう?』
 あの時、彼へと向けて振りかぶられた刃の正体。どうにも間に合わずの咄嗟のこととて、それでもこんなのはイヤですと、出来のいい玻璃玉みたいな涙を流した、可憐で心やさしい小さな主人であったそうで。守護という身にはそれが正しい判断なのかも知れない。でもね、それだと守られた側の心が痛いの。ボクにとっても大切なあなただから、痛い想いをなさるのはイヤ。だからあなたも怪我はしないで。無茶はしないで…。

  「言っとくが、俺だって願い下げだからな。」
  「? 何がだ?」

 いつもの広間にやっとこ落ち着いたのが、長かった一日の宵のこと。今にも振り出しそうだった曇天は、事の解決に気を合わせてか、今は嘘のように晴れ晴れと綺麗なもので。スミレ色の黄昏の空気が、荒れ放題ながらもほのかに若草が萌え始めている庭先を甘く染め始めており。濡れ縁に座って、そんな様を眺めていたところが…唐突な一言をかけられて。これは本心から通じず、首を傾げる総帥殿へ、
「…お前は奴よかは賢いと思ってたんだがな。」
「ああ。庇ったことか。」
「似たようなアホはくれぐれもすんな。」
「らしくねぇのな。」
「何だよ。」
「誰彼構わず襟首掴んででも引き寄せて、盾にってしちまいそうな、そんな強引な奴に見えんのによ。」
「………うっせぇよ。」
 だから蹴るなってば。お馬鹿だからだ。大体だな、お前は怪我を治せるんだろうがよ。そいつの方がやられててどうするよ。だから…進も言ってたろうが、即死級の危機ならば、いっそ丈夫な俺らが庇った方が正しい対処なんだって。一応の弁明を並べてから、
「庇われんのが嫌いなんだろ。判ったよ、せいぜい気をつけるって。」
 言ったことは守る、そんな律義さを知っているから。
「…ああ。」
 それにしては、ちょっぴり鈍いお返事だったが、まま納得したならよしとして。
“…別に、庇ってやってるってつもりはないんだがな。”
 今日の修羅場での助太刀にしてもそう。この術師とはあんな段取りなんてまるきり組んでさえもいなかった。適当になだれ込んで来いと言われていただけ、止める間もあらばこそ、とっとと突入した蛭魔だったというのが正解なのだ。

  ――― 放っておけないほどにも儚げで頼りなげだ…なんてとんでもなくて。

 鬼だって蹴り飛ばせるほどの強かな君。撓やかに真っ直ぐ延ばされた背条。臆することなく前を見据える眼差し。守りなんて必要ないほどに強靭な奴が、されど…降るほどにも襲い来る手合いへ、万が一にも手が足りないのなら困ろうから。卑怯にも背中を狙うような奴もおろうから。だから、そんな彼を護りたいだけ。だからこそ、
“闇の刀を“陽体不斬”へ特化させたのによ。”
 君のお役目のためにという特別な仕様。邪妖相手に格別の威力が増すよう、陽体への切れ味を封じた。眞の名前を教えてまでの契約をした、その相手が滅するまで有効で、自分も陰体である彼には、かなりの無理を強いられもするだろう方向へと偏った特化だが、
“ま、しょうがねえよな。”
 決めたのは自分。守ってなんか要らない雄々しい君を、けれど自分なりに護るための、これはもう自分にしか味わえない優越だから。

  「………どした?」

 静かに満ちるは春の宵。まだまだ冴えたる空気の冷たさが素っ気ないけど、そんなところは君にも通じて。こんな静謐を二人だけで味わえる幸せを、今は存分に堪能しておこうと。やっぱり律義で殊勝な総帥殿、それは綺麗な盟主の横顔を、嬉しそうにいつまでも眺めやっておりましたそうな。











  clov.gif おまけ clov.gif


  「あ〜〜〜〜っ! あの椿っ!」
  「………間がいいのか悪いのか、何でまた今頃、思い出すかな、お前はよ。」
  「あれ、あの、その、どっから…。/////////
  「さあな。もう忘れちまったな。」
  「…何がそんなに可笑しいんだよっ。////////
  「自分の胸に聞いてみな♪」


  お後がよろしいようでvv



  〜Fine〜  06.3.20.〜3.23.


  *しまった、どこが“重来”なんだろうか。
   これまでに退治した相手の眷属を絡めるつもりだったのに。
   これだからぶっつけ本番の一気書きってのは。
(笑)

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